何も考えなくていい

お前はただ歌を歌っているだけでいい


なぜならお前はそのためだけに作られたのだから





ゼロからはじまる





ボーカロイドという歌を歌うロボットがいる。
それを俺に教えてくれたのは大学の先輩だ。
最近すごいソフトがでてきたぞ、と興奮したように今俺の目の前の学食の席で語ってくれている。

パソコンのなかにソフトをダウンロードし、音符を入力することで歌を歌う、と言うのは他の音楽制作ソフトと変わらない。
最大の特徴でもある「パソコンからの実体化」がこのソフトがソフトではなく、ロボット、とも形容される理由だった。
彼、或いは彼女らはより人間らしい歌声を歌い上げるために、それぞれの人格、感情をプログラムされているのだという。
人格をプログラムなんて言うと、ロボットの無機質なイメージが浮かんでしまうが、ボーカロイドたちにはそれがない。
人格、感情、さらには学習能力をも兼ね揃えたボーカロイドはユーザーの元で起動されるたびそれぞれ違う個性を身につけていく。
自分だけの歌声を歌ってくれる生きているDTMソフト。
それがボーカロイドだ、ということらしい。


「……というわけだよ、すごいだろ!?」
雑誌の記事を広げながら先輩は未だ興奮収まらない様子だった。
先輩の目の前にあるうどんはすっかり冷めて伸びきっている。
俺は空になったカレー皿を脇に寄せながら記事に改めて目を通した。
確かにすごいソフトだ。DTMにさほど興味のない先輩でさえ食いついてしまうのも頷ける。
「お前、こういう音楽制作とか好きだろ?興味あるかと思ってよ」
「そうですね。最近音楽とはご無沙汰だったんですけど……ちょっとあとで電気屋でも行って見て来ようかな」
「お前、なんにでもハマりすぎる性質だからな。気になって買うのはいいけど、ボーカロイドに惚れないように気をつけろよ」
ははは、と笑う先輩に俺は呆れ半分でため息をついた。
何を言ってるんだかこの人は。
「ロボットに惚れるほど飢えてませんよ、俺は」

そんなことより伸びきったうどんの事を少しくらい考えてもらいたいものだ。



++


大学の講義を終えたその足で、最寄の電化製品店のPCソフトのコーナーへと向かった。
いらっしゃいませー、という店員の声を背に目的のソフトを探す。
やはり大きく取り上げられているようで、専用のコーナーまで設けてあった。
そこまで反響のあるソフトなら、と期待も高まっていく。
身近にあったソフトを手に取る。パッケージを確認……しようとするが、それよりも先に上に張られた「現在大人気につき品切れ中」のカードが目に入った。
「……あれ…売り切れ、か…?」
ガッカリはしたが、それよりも驚きのほうが優った。

(入荷が間に合わないほど売れまくってるってことか?)
DTMソフトとしてはあまり考えられない事だ。
コーナーの規模を見る限り相当数が入荷されていたようだった。
それが品切れになっているのだというのだからその人気は計り知れない。

ここまでくると、本格的にそのボーカロイドのことが気になってきた。
幸い今日はバイトも入っていない。時間はたっぷりある。
少し遠出になってしまうが市内中心地にある電気街まで行ってみるしかない。
(あそこならちょっとコアな店とかもあるし、見つかるだろ)


――と、思っていたのだが。

「えっ、売り切れ……ですか、ここも……」
「悪いねえ。販売元が在庫切れみたいでさ。入荷日は未定なんだ」
多分、どこの店に行ってもそうだと思うよ、という店のおっさんの言葉は聞く前からわかっていた。
この店が電気街を片っ端から回った最後の店なのだ。
ビルの隙間にあるような小さくさびれたPCソフト店だったから、ここならいけると思ったのだが。予想外だ。思わず肩が落ちる。

「こんなに人気があるとは思いませんでした」
率直な感想をポツリと漏らすとおっさんはにやりと笑う。
「DTMソフトに革命を起こしたとまでいわれてるんだよ、ボーカロイドは。発売日初日に即完売さ」
「はあ……」
「行動に移るのがちょっと遅かったね。まあ、次入荷した時は知らせてあげるよ」
「でもいつかわからないんですよね」
「まあ、販売元も再生産がんばってるし、もうすぐシリーズの最新版が出るって言うし、そんなに長くはかからないと思うけど」
「そうですか……」
俺の中で勝手に上がっていたテンションが見る見るうちに下がっていく。
次回入荷も未定とあっては、それまでに自分のテンションを維持しておけと言うのが無理な話だ。

「それじゃあ、また……ん?」
また今度来ます、といいかけた俺の口が止まった。
レジをはさんで真正面に立っているおっさんの背中側の壁。
そこにずらりと並んだ在庫のソフトが立ち並ぶ中に、今日一日捜し求めていた文字を見つけたからだ。

――ボーカロイド。

ドキリ、と心臓が高鳴った。

「おっさん、それは?」
「え?どれ?」
「その…おっさんの腰辺りにある…それって、ボーカロイドじゃないんですか?」
どれ、と視線をめぐらせてから当のソフトを見つけたのだろう。
店主の顔がちょっと申し訳なさそうな表情になった。
「あ〜……悪いね、これは売り物じゃないんだ」
「? 予約分とかですか?」
「いや違うんだ。これは最初中古販売してた分なんだけどね。以前これを買ってったお客さんが返品しにきちゃって」
「返品?」
「そう。中古販売だから返品は受け付けないって言ったんだけど、不良品だし気味悪いから手元に置きたくないって無理矢理置いていっちゃってさ」

気味が悪い?……というのもなんだか変な話だ。

「ボーカロイドは人間に限りなく近い感情や性格を持ってるんですよね?リアルすぎて気持ち悪いって事ですか?」
「僕もそう思ったんだけど。いや違うんだ、ってそればっかりでね。どうしようもないから製作元に返品できないか問い合わせようと思って置いてるんだよ」
「返品できなかったら?」
「そりゃ、しょうがない。廃棄処分だよ。僕はDTMソフト使わないからね」
そう言った後に、店主がしまった、という顔になった。
前言撤回される前に俺はすぐさま財布と共に声を張り上げる。

「おっさん!それください!」

店主はソフトを背中に隠しながらブルブルと顔を横に振る。
「あああぁ〜、いや。ダメだよ!売れる代物じゃないんだから!」
「起動はするんでしょ?お金も出しますから、いいじゃないですか!」

なおも食いつく俺に、店主はぐっ、と息を吸った。
少し間があって、今度は息を吐く。

「まあ落ち着いて」と俺を諭しにかかった表情は真剣そのものだった。

「不良品って言われて返品されたんだから、一般に流通してるボーカロイドとは違うかもしれないんだ。
他のソフトならともかく、ボーカロイドは人間の形をとって人間そっくりの感情を持っているんだよ。
もしかしたら感情や力の制御に問題のある機体なのかもしれない。そうしたら君自身に被害がでるかもしれないんだよ」
「………それは………」
正論だ。思わず言葉がつまる。

「製作元ですらサポートできない欠陥を持っているかもしれない。そんな危険なソフトを売るわけには行かないよ」
「………………………」
押し黙ってしまった俺に、店主はバツが悪そうに先を続けた。
「いや、僕の方も悪かったよ。こんな見えるところに置いておいたから、へんな期待もたせちゃったし。
……そうだ。次入荷した時は君の分のソフト取り置きしておいてあげるよ。それで勘弁してくれないかな」
ありがたい言葉だ。しかし俺が望んでいる言葉とはちょっと違う。
ひとつだけ気になることがあったからだ。

「でも、……そのボーカロイドは、生きてるんでしょう?」
「え?」
「人間そっくりの感情を持ってるなら、廃棄処分ってことは、このボーカロイドを殺すってことじゃないか」
「それはそうだけど……それとユーザーに危害を与える可能性とはまた別問題だよ。生きてるといってもボーカロイドは機械だよ。
言い方は悪いけど……人間とボーカロイドなら人間の命の安全のほうを優先すべきだと僕は思うな」
「………………………」
そうだろうか。たしかにそうかもしれない。
人間の都合で作られて人間の都合で壊されるのか。
ボーカロイドは言ってしまえば人間の娯楽のために作られたソフトだ。それは当然なんだろう。
でもそれって……

それってすごく、すごく俺たちが身勝手なことをしてるってことじゃないか?

パッケージの中で何も知らずに眠っているであろうボーカロイドが急に不憫に思えてきた。
俺が何もしなければ、このボーカロイドはよくて製作元へ返品、それが無理なら廃棄処分。
返品されたところで原因を探った後はデリートされる運命だろう。

――俺が何もしなければ。


「おっさん」
「…………なんだい?」
「お願いします。俺にこれ、売ってください!」
言って深々と頭を下げる。
返事を聞くまで頭を上げるつもりはなかった。
顔は見えないがおっさんの困り果てた顔が見えるような気がする。
「うーん……こう言っちゃなんだけど、このソフトはボーカロイドシリーズの中でも少し古いほうなんだよ。
今はミクが最新だし、もう少ししたらリンやレンもでてくる。わざわざ危険を冒してまで古いタイプを買うことないと思うけど……」
「…………………」
「……多分、もう何言っても無駄だね」
はあーっ、と深いため息が聞こえる。

「――わかった。このソフトは君に売ろう」

「本当ですかっ」
勢いよく顔を上げた俺に、おっさんは「ただし」と付け加える。
「定期的に様子を連絡してもらうよ。不良品といっても、どこがおかしいのかわからないし。
それがユーザー側からいじって治せる程度の異変なら僕でもアドバイスできるだろうしね」
「はい!ありがとうございます!」

「ソフトを売る人に言う言葉としては変だけど……くれぐれも気をつけてね」
白いパッケージを手渡される。
左上に「中古品」と書かれた黄色の小さいシールが貼ってある。
俺と同じくらいの青年のイメージグラフィックがこちらを見つめていた。
青い髪にマフラー、白いコート。楽しそうに笑って今にも踊りだしそうな姿。

――カイト、と名前が書いてあった。



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